2010年11月11日
風の音・・・「セラフィーヌの庭」

見てとても得をした気分になった。好きなことを愚直にも続けていくって、大変だけど、素敵なことだと思った。
家政婦をしながら、かつかつに生活しながら、「絵」を描くことに生きがいを見出していたセラフィーヌ。その構図、色彩はなにものにもとらわれない自由な精神を感じる。
セラフィーヌ演じるヨランド・モローが森の中で、風の音を感じるときの表情がすごくいい。空を見上げたとき、木に抱きついた時の表情も。川で洗濯をしていて尿意をもよおし、走っていって緑の中で立ったまま出してしまうヨランド。その時も空を仰ぎ、なんて気持ちがいいんだろうという表情。自然の中で、体の中にあるものを出すって、あー気持ちいいだろうなあ。私ができなかったなあ。空からのぞかれているようで、出したいものがへこんでしまった思い出がある。
話を映画に戻す。時代は第一次大戦から第二次大戦まで。彼女の才能は、ルソーを見出したといわれるウーデに出会ったことは幸運だった。神が用意していたのだろうか。最後は精神のバランスをくずして、奇怪な行動をして、精神病院にいれられてしまうセラフィーヌ。その施設の中で、余計に精神が荒廃していったのではないかと思った。
もう一人、フランスの偉大な芸術家が精神のバランスをくずして精神病院に入れられ、死ぬまでそこにいた。彫刻家のカミーユ・クローデル。彼女の場合は、裕福な家の出で彼女自身も聡明であった。ロダンとの関係に破れてしまったために、精神に異常をきたした。そして家族に施設に入れられた。
女性が芸術で身をたてていくのがまれだった時代、家族もなく貧しかったセラフィーヌの方が、恵まれていたはずのクローデルよりも、「しがらみ」がなくて自由だったように思える。夜遅く、ろうそくの灯をともしながら、目を少女のように輝かせて絵を描くセラフィーヌ。疲れたらベットにごろんとなって寝て。ベッドにどかっと寝ているヨランダの演技が本当に「至福の時」を思わせた。
フランスでは映画の公開とともに、セラフィーヌの回顧展も行われ大盛況だったようだ。いつか、本物の絵を見たい。
ノート:マルタン・プロヴォスト、出演:ウルリッヒ・トゥクール 桜坂劇場で。


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Posted by ダイアン・M at 23:29│Comments(0)
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