2010年05月08日
「カティンの森」を見て
アンジェイ・ワイダ監督の「カティンの森」を見てきた。
第二次世界大戦中にポーランドの将校らがソ連軍により銃殺された事件をもとにした映画である。
この事件の70周年追悼式典に出席するため、当地に赴いたポーランド大統領らの乗った飛行機が墜落し、乗客全員が死亡した事故が4月10日あったばかりだ。
戦争は本当に人生を狂わせる。そして、普通の生活がどんなにありがたいものなのかを改めて思い知る。幸いにも、本島に幸いにも戦争をいうものを体験せずに生きてきた。戦争に直結する基地のある島で生活しているが、こんな愚かなものにつながるのがどうして必要なのかと考える。
映画を見た日(5月4日)は、偶然にも鳩山首相が来県し、自分の「公約(米軍普天間飛行場は県外に移す)」を撤回すべく、「やはり県内に負担を」と関係者にお願いしていた。私と妹は、首相が宜野湾、辺野古、名護への「お詫び行脚」をしている間、戦争の愚かさを訴える映画を見て、「平和」こそ尊いものであると確信したのだ。
「カティンの森」事件は、長く、ポーランドの人々が沈黙を強いられてきた事件だ。戦後の共産圏のリーダー、ソ連軍が起こした事件を、ポーランド(あるいはソ連が)は「カティンの森」はドイツ軍のしわさとしてきた。この事件の真相を話す人は抹殺、あるいはなんらかの社会的制裁を受けた。人間は誰しも自分がかわいい。自分を守るために口を閉ざしたり、話をねつ造したりする人もいた。誰が悪いとかいいとかではなく、「国家」という組織の前に、「個人」である人間は虫けら同然に小さなものである、というのを痛感した。東西の壁が取り払われて、20年たったが、かつての東の国は、求めていた自由が得られただろうか。
日本は(表面上)長く平和を享受している。しかし、今度の「普天間移設問題」を見ていると、「政府」という組織は、「移設」を願う沖縄県民をほんの小さな生き物のようにしか扱っていない。こういうところには人間が謳歌できるはずのほんとうの「自由」というのは生まれないのだ。

ノート 出演:マヤ・オスタシェフスカ、アルトゥル・ジミイェフスキ、桜坂劇場で。

にほんブログ村ランキング参加しています。応援お願いします。
第二次世界大戦中にポーランドの将校らがソ連軍により銃殺された事件をもとにした映画である。
この事件の70周年追悼式典に出席するため、当地に赴いたポーランド大統領らの乗った飛行機が墜落し、乗客全員が死亡した事故が4月10日あったばかりだ。
戦争は本当に人生を狂わせる。そして、普通の生活がどんなにありがたいものなのかを改めて思い知る。幸いにも、本島に幸いにも戦争をいうものを体験せずに生きてきた。戦争に直結する基地のある島で生活しているが、こんな愚かなものにつながるのがどうして必要なのかと考える。
映画を見た日(5月4日)は、偶然にも鳩山首相が来県し、自分の「公約(米軍普天間飛行場は県外に移す)」を撤回すべく、「やはり県内に負担を」と関係者にお願いしていた。私と妹は、首相が宜野湾、辺野古、名護への「お詫び行脚」をしている間、戦争の愚かさを訴える映画を見て、「平和」こそ尊いものであると確信したのだ。
「カティンの森」事件は、長く、ポーランドの人々が沈黙を強いられてきた事件だ。戦後の共産圏のリーダー、ソ連軍が起こした事件を、ポーランド(あるいはソ連が)は「カティンの森」はドイツ軍のしわさとしてきた。この事件の真相を話す人は抹殺、あるいはなんらかの社会的制裁を受けた。人間は誰しも自分がかわいい。自分を守るために口を閉ざしたり、話をねつ造したりする人もいた。誰が悪いとかいいとかではなく、「国家」という組織の前に、「個人」である人間は虫けら同然に小さなものである、というのを痛感した。東西の壁が取り払われて、20年たったが、かつての東の国は、求めていた自由が得られただろうか。
日本は(表面上)長く平和を享受している。しかし、今度の「普天間移設問題」を見ていると、「政府」という組織は、「移設」を願う沖縄県民をほんの小さな生き物のようにしか扱っていない。こういうところには人間が謳歌できるはずのほんとうの「自由」というのは生まれないのだ。

ノート 出演:マヤ・オスタシェフスカ、アルトゥル・ジミイェフスキ、桜坂劇場で。

にほんブログ村ランキング参加しています。応援お願いします。
Posted by ダイアン・M at 21:24│Comments(0)
│感想